ヘボン館

1887(明治20)年竣工。白金校地にサンダム館と共に建設された明治学院最初の寄宿舎です。J. C.ヘボン(James Curtis Hepburn)が著した『和英語林集成』第三版が丸善から刊行された際に、ヘボンがその版権を丸善に譲渡したところ2000ドルが贈られました。ヘボンはその2000ドルを明治学院に寄付しヘボン館が建設されたため、この建物はヘボン館と命名されました。

ヘボン館は、屋内地下室は全てコンクリートで作られ、雨天体操場や、柔道、剣道の道場に用いられました。1階から3階は全て寄宿舎で、各宿室は寝室と書斎に分かれ、寝台は1室に3台、もしくは4台造りつけられていました。寝室28、寝台112がありました。東京随一といわれた木造建築で、屋上櫓(やぐら)の13平方メートルを加えると5階建て、1475平方メートルもの大建造物でした。

しかし、1911年9月21日午前5時過ぎ頃、ヘボン館の表入口を入って直ぐ左手にあった応接室と舎監室との中間の天井から出火し、強風に煽られた炎によって、ヘボン館は隣接していたハリス館と共に全焼してしまいます。

J. C. ヘボン

ヘボン館 1887(明治20)年頃(カ)

炎上中のヘボン館 1911(明治44)年9月21日

灰燼に帰したヘボン館 1911(明治44)年9月21日

参考文献:

  • 『明治學院五十年史』 1927年 学校法人明治学院