サンダム館

1887(明治20)年に、サンダム夫人の3000ドルの寄付によって建設された明治学院最初の校舎です。3階建てで2階には400人を収容可能な講堂がありました。写真からはわかりませんが、1914(大正3)年のサンダム館は橙赭色の屋根に水色の美しい建物だったと伝えられています。2階の講堂では、礼拝の他、毎週金曜日の夜、大きなランプの下で文学会が開催され、1890年7月には、基督教青年会主催第二回夏期学校の講演会場にもなりました。

『明治学院五十年史』にはこのような記述があります。
「明治二十年一月十二日學院設置の認可が下りると、學院理事員等の喜びは一通りで無かつた。冬の過ぎるのを待ち兼ねて二月の末から白金臺地の雜木を切倒したり、梅林を移したり、熊笹をのけたりして建築に取掛つた。當時大阪の屈指の建築請負師藤田組が引き受けたものである。先づ石材を以て基礎工事をなし、欅の材木を柱とし、檜を用ひて壁や床を張り、隨分堅牢な三階建の校舍が出来た。二階の北側には四百人を容れるに足る講堂を拵へた。建築費總額は7千圓。その資金はリフォームドミッションに関係深き米國富豪サンダム氏未亡人が亡夫の記念のために全額を提供した。」

明治学院五十年史に書かれている文章を読むと、サンダム館の建設が喜んで学院に迎えられ、さらに建物の大きさや建築費用をみても、サンダム館建設が当時の学院にとって重要であったことがわかります。
しかし、サンダム館はその後、1914年11月24日の授業中に、突如天井より出火し瞬く間に全焼してしまいます。サンダム館に火災が起きた時、教員や学生・生徒たちの奮闘により、肖像画およびリードオルガンを屋外に運び出します。このリードオルガンは現在も記念館2階の大会議室に置かれています。

サンダム館 1888(明治21)年頃

参考文献:

  • 『明治學院五十年史』 1927年 学校法人明治学院