明治学院記念館

明治学院歴史資料館展示室のある建物は現在、明治学院記念館と呼ばれています。1890(明治23)年6月に竣工したこの建物は建設当初、神学部校舎兼図書館として使われていました。ネオゴシック様式で、H.M.ランディス教授の設計といわれています。

この建物は現在に至るまで、幾度か災害による危機に遭います。1894年6月20日に関東地方を襲った地震。2階部分の損傷が最もひどく、1階を煉瓦造りとしたまま2階部分が木造に改修され、丸屋根はランタンを載せた塔になりました。また、1914(大正3)年11月24日のサンダム館の火災時には、神学部校舎兼図書館と井深総理邸に飛び火。サンダム館から近い位置にあった井深総理邸は先に消防夫が放水し、燃え出すことはありませんでしたが、神学部校舎兼図書館の塔は焼け落ちてしまいます。図書館に並べられた書物を火災から守るために、生徒たちは書庫に押し寄せ、窓から外の水たまりへ書物を投げたといいます。

さらに、1923年9月1日に発生した、関東大震災。「その第一震及び第二震によって神學部二階の煉瓦の大煙突が屋内に倒れて、凄まじい音響と共に大卓子と多くの書架と天井と床板との一部分は粉砕された」と『明治学院五十年史』に記されるほどに甚大なものでした。

さまざまな災害に遭いながらも、改修を重ねその姿を学院に残してきた記念館。1964(昭和39)年に国道1号線拡幅のため現在地まで曳家(ひきや)され、現在は小チャペル、会議室など日々使われる生きた建物として大切に活用されています。

神学部校舎兼図書館 1890(明治23)年頃

「神学部校舎兼図書館、井深総理邸、サンダム館を望む風景部分
1901(明治34)年~1914(大正3)年
1894年6月の明治東京地震で大破し、二階部分が木造に改修されている。その際外壁が木骨模様が印象的なスティック・スタイルになった。

記念館 尖塔が1914(大正3)年のサンダム館の火災時に類焼して改造された。1923年の関東大震災で煉瓦の大煙突が崩壊した。

現在の記念館 1979(昭和54)年港区指定有形文化財(建造物)に指定、2002(平成14)年東京都「特に景観上重要な歴史建造物等」に指定された。

島崎藤村と記念館

神学部校舎兼図書館は、島崎藤村の小説『桜の実の熟する時』に登場し、次のように描写されています。

「捨吉にはもう一つ足の向く窓がある。新しく構内に出来た赤煉瓦の建物は、一部は神学部の教室で、一部は学校の図書館に成っていた。まだペンキの香のする階段(はしごだん)を上って行って二階の部屋へ出ると、そこに沢山並べた書架(ほんだな)がある。一段高いところに書籍(ほん)の掛りも居る。時には歴史科を受持つ頭の禿げた亜米利加人の教授が主任のライブラリアンとして見廻りに来る。書架で囲われた明るい窓のところには小さな机が置いてある。そこへも捨吉は好きな書籍を借りて行って腰掛けた。

寄宿舎から見るとは方角の違った学校の構内のさまがその窓の外にあった。一日は一日と変って行く秋の空がそこから見えた。」

藤村が記念館で本を読んでいた頃を想像すると、その歴史の長さに気づかされます。当時、図書室だった場所は現在、会議室として利用されています。

島崎藤村と学友たち
島崎藤村は1887(明治20) 年明治学院普通学部本科に入学、1891 年に明治学院を卒業した。
この写真はその間に撮影されたものであると考えられる。前列左が藤村。

リードオルガン

記念館2階大会議室には1914(大正3)年に寄贈された米国メーソン&ハムリン社のリードオルガンが置かれています。A. K. ライシャワー教授(宣教師)の尽力でアメリカの教会信徒が献金をし、メーソン&ハムリン社製の大型リードオルガンを明治学院に寄贈、サンダム館に設置されました。

同年11月24日に発生したサンダム館の火災により、このオルガンは焼失の危機に晒されます。『明治学院五十年史』には、次のように記されています。

七 サンダム館の焼失

出火 大正三年十一月二十四日、「追々と秋が更けて校庭の大公孫樹の葉が殆ど散り盡(つく)して、朝にはともすると霜の見える頃であった。その日サンダム館二階の講堂に始めて火を入れた。いつもの通りに午前八時から、各學部の授業が始まって、第二時間目の禮拜(れいはい)をその暖められた講堂で三學部の生徒職員相集って濟ませ、再び各自の教室に戻って第三時限の授業を始めたばかりである。其の日高等學部の二三の學生筆者はその一人が運動場に居て何の目的もなくサンダム館の屋根を仰ぐと、煉瓦の煙突の傍の屋根から眞黒い煙が濛々と上がって居た。「火事だ」と告げて鐘を鳴らさせ大急ぎでそれら高等學部の學生が講堂にかけ上って見ると、天井の西南側丁度ストーブの鐵管(てつかん)煙突が煉瓦柱に入ると思われる附近から南側にかけて焔が天井を並行になめて居た。急を知った各學部の生徒は校庭になだれ出たが何分高所よりの出火であるため手の下しようもなかった。

相當に古い建物であったので、火は見る見る中に天井全體(ぜんたい)に擴(ひろ)がって、最初に入って行った學生がヘボン、ブラウン、マコウレイ、ワイコフ氏などの肖像を取はづして下まで運び、二回目に神学部の學生金子、間宮、八十川氏らが會根教授と共に驅上って、ライシャワル氏の斡旋で米國から到着したばかりの巨大なペダルオルガンを漸くの事で屈接した階段を引摺り下して、三回目に驅上った時には最早火焔が濛々と講堂全體に漲って居て、一脚のベンチさへ下す事はできなかった。それが忽ち三階に移り、二階の敎室を甞めて歴史的に重要な書類や、ミラー博士の家財道具を一杯保藏(ほぞう)して居た一階の北側の部屋から、當時都留敎授の舊約(きゅうやく)の敎室となって居た南側の敎室まで、すっかり焔に埋まってしまった。・・・」

『明治学院五十年史』にあるように、リードオルガンは当時の生徒たちによって守られ、今に残されたのです。

リードオルガン

リードオルガン

リードオルガン

曳家(ひきや)

曳家は、建物を解体せずにそのままの状態で移動する建築工法です。インブリー館と明治学院記念館は1964(昭和39)年に現在の位置に曳家されました。この時に、明治学院記念館の向きは90度変わり、現在のような玄関を南に向けた形になりました。また、インブリー館の曳家は、記念館を曳いたのちに行われ、2棟あわせて2ヶ月ほどかかったようです。

曳家中の明治学院記念館

曳家中の明治学院記念館

曳家中の明治学院記念館

文化財登録

【明治学院記念館】

1979(昭和54)年
港区指定有形文化財に指定
2002(平成14)年
東京都「特に景観上重要な歴史的建造物等」に指定
建設年
1890(明治23)年
設計者
H.Mランディス(宣教師)と推定
構 造
煉瓦造、一部木造(屋根:銅板一文字葺)
規 模
地上2階 延床面積516.09平方メートル

【メーソン&ハムリン社製リードオルガン】

2014(平成26)年
港区指定有形文化財

神学部校舎兼図書館(現記念館)の変遷

明治学院記念館の変遷
1890(明治23)年6月
竣工
1894(明治27)年6月20日
地震により破損
1897(明治30)年1月1日
『福音新報』で”美観のある堅牢の建物となれり”と報じられた
1914(大正3)年11月24日
サンダム館の火災により破損(ランタンとける)
1914年12月15日
修理の為の予算承認
1923(大正12)年9月1日
関東大震災により破損(煙突がなくなる)
1924(大正13)年前期~夏期休暇
関東大震災による破損の修復を行う
1964(昭和39)年冬
曳屋
1966(昭和41)年
上棟式

参考文献:

  • 島崎藤村『桜の実の熟する時』 新潮社
  • 明治学院文化財等保存委員会編『明治学院旧神学部校舎兼図書館(記念館)建物調査報告書』 1999年 学校法人明治学院
  • 『明治学院とリードオルガン明治学院創立155周年記念 教育的文化遺産保全事業』2019年11月 学校法人明治学院
  • 『明治學院五十年史』 1927年 学校法人明治学院